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喜怒哀楽人生が私のすべて。

さよなら、おばあちゃん。

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おばあちゃんが、1週間前の7月28日(金)真夜中の0:34、とうとう眠るように息を引き取った。
死亡確認をしたのは、おばあちゃんが絶大な信頼を寄せて、熱心に最後までいろいろと手を尽くしてくれた打波先生。
打波先生は、おばあちゃんの遺体を病室から運ぶときも、病院から出るときも手伝って見送ってくれた。
おばあちゃんを送り出したのは、1:40。
車に同乗したのは、母と私の弟。
伯父2人といとこの二郎ちゃんは、別の車で先回りして、八峰町へ向かい、父と私は家に戻ってきたのだけれど、私は全然眠れなかった。
夜が明けて職場に行って、自分がやらなきゃいけないことを同僚みんなにまわして振って、定時で家に帰って30分で出かける準備をして一路母の実家の八峰町へ1人車で向かった。
職場から花屋さんに電話をして、注文してあったお悔やみ用フラワーアレンジメントを受け取って、運転しながら栄養補給して向かった。
母の実家に着くと、既に、おばあちゃんの遺体は既に棺に収まっていた。
本当に眠っているようで、今にも「まりこ、起こしてちょうだい」って言いそうだった。
そして次の日は、朝から近所のお手伝いさんがやってきて、朝の7時には既に朝食を食べ終わって、火葬場へ向かった。
おばあちゃんが最後に家を出るとき、涙が止まらなくて、しかも道中、おばあちゃんが「ここでこうしたんだろうなぁ」、「これを買ったんだろうなぁ」って考えたら、ますます涙が止まらなくて、さらに新聞の死亡広告を見た人があちこちでおばあちゃんの通るのを待っていて、おばあちゃんに向かって頭を下げた。その姿を見てますます泣けてきて、火葬場に向かうまでずっと泣き続けた。
火葬場に着いてからも「これでほんとうに会えないんだ」と思ってしまったら、ますます涙が止まらなくて、最後のお別れのとき棺を前にして号泣。
母さんが最後におばあちゃんに向かって「さようなら、母さん」って言ったら、再び号泣。
枯れることなく涙が出てきた。
火葬後のお骨拾いでは、大腿骨と腕の骨が左右ともに完全に残っていた。
登山で歩いた足と畑仕事で使った腕がどれほどのものだったかを物語っていた。
お骨を拾いながら、涙が止まらなかった。
再び八峰町の自宅に戻ると、祭壇がセットされ、弔電やら花輪、献花がところ狭しと並んでいた。
31日(月)のお葬式の日は、和尚さんのお経中に何度も涙がこぼれたけど、号泣することなくなんとか乗り越えられた。
それでも、1人になると「おばあちゃんはこういうことのために、こうしたんだ」って思えて、全てが泣けてくる。
おばあちゃんは、この日のために、冷蔵庫や掃除機を新品に買い替え、トイレは2、3年前に水洗化にして、座布団も20枚ほど新品を購入。食器棚にあった食器はすべて漂白してあった。
おばあちゃんが私の人生に与えた影響は、計り知れない。
こんなことなら、去年も一昨年もその前も、しっかりお世話をしておけばよかった。
自分の親のときは、絶対後悔しないよう、孝行しようと思った。
おばあちゃんは、世のしがらみから解き放たれてきっと幸せなんだろうって思いたい。
でも黒部に行きたいって言ってたし、カナディアンロッキーにも行きたい、って言ってた。
来年はおばあちゃんが遺した登山用品とともに供養登山でもしてこようかな。
さよなら、おばあちゃん。
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